最初に結論!パンチ佐藤さんは現在、タレント活動や野球解説者として活動されてはいますが、ピーク時に比べ露出は減っています。

パンチ佐藤さんをご存知でしょうか。

パンチ佐藤さん(パンチさとう、1964年12月3日 – )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投左打)で、タレント、野球解説者として活躍されていました。

本名および野球選手としての旧登録名は、佐藤 和弘(さとう かずひろ)です。

プロ野球選手時代の髪型だったパンチパーマがトレードマークであり、芸名の由来ともなっています。

愛称は「パンチ」(1994年には登録名としても使用)でした。

プロフィール

職業:元プロ野球選手・野球解説者・タレント・俳優

生年月日:1964年12月3日(53歳)

本名:佐藤 和弘

出生地:神奈川県川崎市中原区

国籍:日本

身長:177cm

活動期間:1995年 –

事務所:フリー

小学生時代のあだ名は「ザット」(“さとう”をもじって)だったそうです。

当時は両親が共働きで、帰ってくるのが遅いため、団地の前で日が暮れるまで素振りをしたといいます。

これが、のちにプロ野球選手になるための基礎となったのかもしれません。

トレードマークのパンチパーマは、社会人となってからですが、その理由は、若く見られないために始めたものだそうです。

なんでも、社会人時代に坊主頭にしていた時、相手チームのボールを拾ってあげたところ、どうみても年下の選手から軽々しく「サンキュー」といわれたことに憤慨したのだとか。

丁寧な「ありがとうございます」を期待していただけに、かなり、ショックだったようです。

その後、プロ野球界入りするわけですが、パンチ佐藤さんは、トーク力が有名で、いくつかその話をご紹介しましょう。

ドラフト指名時には、当時所属していた熊谷組の寮で上田利治監督からの電話に「会社の上の人と相談して決める事ですけれども…自分の心はひとつです!!」と応え、そのインパクトの強さで入団当時から話題をさらっていました(その時の映像が2000年代中盤にリクルート「フロムエー」のCMでも使われました)。

そして、入団時の記者会見では契約金の話になったが「この1億円はプロで勝負させてもらう為のお金であり手を出せないです」という発言で場内を驚かせました。

また、どんな選手になりたいかとの問いに「グシャっとした当たりでもいいから塁に出られるバッターになりたい」
と答えましたが、現役生活を振り返りますとこの発言の前半のみが達成され、出塁機会は多くありませんでした。

入団後は守備走塁コーチの今津光男さんと二人三脚で有名でした。

だが、今津コーチも単身赴任で合宿所に住んでいたことから、ただの「飲み友達」だったという話もあり、度々ネタにされていました。

福岡ドームでのホークス戦で、守備で悪送球をした際に、理由として「ついさっきまで稲荷寿司を素手で食べていて、手を拭かずに守備についてしまい。油揚げの油が指についていた為、滑ってあんな送球をした。」と弁解しました。

後に「ジャンクSPORTS」2002年11月19日放送分でもこの話を(多少形を変えて)披露しています。

その他、あの仰木監督を笑わせたエピソードがあります。

1994年の阪神とのオープン戦で代打出場した際に中田良弘から足にデッドボールを受け、その場にうつ伏せに倒れてしまい全く起き上がれなくなりました。

そこで仰木監督が慌ててベンチを飛び出し、パンチのもとへ行こうとした瞬間、パンチが急に立ち上がり全力で一塁ベースに向かって走った為、それがパンチ特有の芸だと知るや仰木監督は大笑いをしながらベンチに戻りました。

ちなみにこの試合では仰木監督にピンマイクが付けられていて、代打のコールはもとよりデッドボールの際の笑い声も中継されていました。

現役最後の年となった1994年に岡田彰布さんとの面白い話もあります。

春のキャンプ中は意気込みが一段と強く、フジテレビ「プロ野球ニュース」のカメラの前で「今年、復活に賭ける男」と宣言しました。

この年、阪神から移籍した岡田彰布さんを見つけると「岡田さん、一緒に写って下さい。一緒にカメラの前で『今年、復活に賭ける』と言いましょう!」と力強く誘ったが、引きつった笑みを見せながらあからさまに嫌がる岡田に「復活って、俺はそうやが、お前、ええ時あったんか」と返されました。

なおも「いや、これでもお立ち台に立ったこともあるんです。今年にとにかく賭けてるんです。一緒に写りましょう!」と食い下がったが、一流選手としてのプライドが高いことで有名な岡田から「復活って、お前、何もないやないか」「一緒にすんなよ」とあくまでも拒否されました。

吉兆とはいえない最後のシーズンの始まりででした。

グリーンスタジアム神戸での打席に登場時のテーマ曲はアップテンポの曲で統一されていましたが、パンチの場合のみ演歌でした。

プロ野球解説者森祇晶さんからは、自伝で「要領が良い、立ち回りが上手いだけで、中身が全く無い選手」と大久保博元とともに半ば特定される形で非難されていました(刊行は佐藤の引退後)。

引退されてからのパンチ佐藤さんは、タレントとしても活躍されます。

韓国に凝っており、週1度はテコンドーの道場に通い、韓国料理もかなりのペースで口にしていたそうです(フジテレビ「ウチくる」{2005年秋に放送分}でもロケ地が韓国料理店でした)。

しかし、グルメ番組のレギュラーを持っているほど味にはうるさい反面、午後8時以降は食べ物を一切口にしないというストイックな体調管理を貫いています。

野球解説者としては、野村克也さんに厳しい言葉を浴びたこともあります。

フジテレビ「ジャンクSPORTS」に出演時、野球に関するうんちくを述べた後、同じく出演していた野村克也に「ねっ、そうですよね?」と、同意を求めたところ、「オマエの話はみなデタラメや」と一喝されました。

さらに、同番組で浜田雅功さんに「漫談」と言われたこともあります。

野球について雑な一面もありました。

フジテレビ「めざましどようび」にてパンチが担当していた「朝刊スポーツパンチ」のコーナーでは、オープニングにサッカー、ゴルフ、フィギュアスケート、野球と色々なスポーツをするパンチのアニメーションが流れていたが、最後の野球では、左打者だったはずのパンチが右打席でボールを打っていました(結局コーナー終了まで、左打者への修正もしくは「※実際は左打ちです。」などの脚注付記は実施されませんでした)。

その他、関西テレビ「野球狂のネタ」では、準レギュラーだったが野球以外の話題が多すぎる為、ますだおかだから野球ネタ切れ疑惑をかけられました。

嫁は中国人!?

パンチ佐藤さんのご家族ですが、奥さんと娘さんがいます。

まずは、奥さんからですが、名前は靖子さんで中国国籍の方です。

そうです!パンチ佐藤さんは、国際結婚されていました。

お二人の出会いは20年以上前で奥さんは上海から来た留学生で、パンチ佐藤さんは、その頃はまだオリックスの選手だったそうです。

佐藤さんと奥さんは、最初は会話もままならない状態だったそうですが、着実に愛を育んで結婚に至ったそうです。

国際結婚がまだ珍しかったころの話ですから、いかに2人が惹かれあって、決断されたのかが分かります。

パンチ佐藤さんが、靖子さんのお父様に挨拶に行った際は、結婚を快く承諾されたようで、靖子さんのお父様は「日本に住むなら日本に、中国に住むなら中国に合わせて生活しなさい」とアドバイスされたようです。

そのアドバイスを守ってか、パンチ佐藤さんと靖子さんはお互いに合わせる努力を怠らなかったそうで11月23日の結婚記念日には、毎年お祝いをするくらい仲の良い夫婦として有名です。

しかし、パンチ佐藤さんは、恐妻家のようで、奥さんの靖子さんの人柄は、キレるとかなり怖いそうです。

以前に離婚のうわさが流れましたが、噂にすぎず、離婚はしていません。

そして、娘さんは、佐藤華純という名前で芸能プロダクションサンミュージックに所属し、タレント活動をしています

現在、何してる?

現在でも、タレント活動や野球解説者として活動されてはいますが、ピーク時に比べ露出は減っています。

実は、その他に講演会を年に30回ほどやっているそうです。

ひと月に1~2回講演を行っている計算になります。

得意の話術「パンチ節」を生かして中学生から企業の上層部の方たちまでを対象に講演を行っているんだそうです。

講演料は、1時間で70万円(税抜)!!

「なんですって!わあ!高っ!」って思ってしまいますが、プロ野球選手の方の講演料は100万円以上とのこと…

安いほうなんだそうです。

講演会の内容ですが、例えば中学校に呼ばれれば「いじめなんかするな」と講演したり、企業の経営やマネージャーなどの情報部への講演には「監督によってチームは変わる」学校の先生や講師向けの講演会では、「先生によってクラスは変わる」といった内容を講演し、パンチ佐藤流の部下育成術を伝えているそうです。

一見、ハウツー本でよく見かける内容のような気がしますが、あの表情としゃべり方で演じられると、なんだか納得してしまうのかもしれません。

さて、初老に達したパンチさんは、風貌は老けてまいりましたが、濃すぎる表情や力強い言葉「パンチ節」は今でも健在です。

トーク番組が増えれば、再ブレイクの可能性もあるかもしれません。