マルチに活躍を続けているフリーアナウンサー。
八木亜希子。
そんな彼女ですが、ここに至るまでには壮絶な人生を送ってきました。
今回はそんな彼女の軌跡について振り返っていきたいと思います。
プロフィール
出身地 神奈川県横浜市
生年月日 1965年6月24日
血液型 O型
最終学歴 早稲田大学第一文学部総合人文学科心理学専修卒業
所属事務所 共同テレビ→フォニックス
職業 フリーアナウンサー、タレント、司会者、ニュースキャスター、女優
活動期間 1988年 –
ジャンル 報道・情報・バラエティ
配偶者 あり
八木は静岡県の三ケ日町にて生を受けました。
その後、神奈川県の横浜市に引っ越し、そこで子供時代を過ごします。
八木は名門女子校として知られている横浜雙葉中学校・高等学校に進学し、そこで青春を過ごします。
なお在校中は英語部に所属しており、英会話やで英語ディベートに励んでいました。
その後、八木は早稲田大学を受験し、見事第一文学部総合人文学科心理学専修に合格しました。
大学のサークルで八木はミュージカル研究会に所属し、八木は裏方として舞台を支えていきました。
しかし何度か公演にも出演し、そこで人前に出て目立つ仕事がしたいと感じるようになったのです。
そのような事もあって八木は、就職活動ではアナウンサー職を志望するようになり、日本各地のテレビ局を受験しました。
またその中で同じ学部で後に日テレのアナウンサーになる福沢朗とも知り合い、二人は励ましあいながら就職活動を戦い抜きました。
なお八木はキー局では日テレとフジテレビで最終面接に残っていましたが、日テレは不合格になりフジテレビに就職したとのことです。
八木は1988年のバブル期にフジテレビに入社し、入社してすぐにFNNスーパータイムのお天気コーナーのアナウンサーを務めました。
その後もめきめきと頭角を現していき、1990年には「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」に出演しました。
なお、この番組は毎年クリスマス近辺の深夜に放送されますが、現在でも続いています。
そして八木は、1991年にはおはよう!ナイスデイの総合司会に抜擢されました。
また同年に行われた「フジテレビ版24時間テレビ」と言ってもいい、FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島の総合司会にも抜擢され、報道だけではなく、バラエティでも起用される事となりました。
そして1994年には「めざましテレビ」のメインキャスターに抜擢され、フジテレビの朝の顔となったのです。
また同年八木は、松竹映画の「RAMPO」に河田町のご令嬢役で映画初出演を果たしており、活躍の幅を少しずつ増やしていきました。
バラエティ番組での起用も24時間テレビぽっきりと言うわけではなく、1996年には「平成教育テレビ」の進行係を務めるなどしています。
そして1998年には「FNNスーパーニュース」のメインキャスターに就任し、フジテレビの出世街道を突き進んでいっていたのです。
しかし、2000年八木は突如としてフジテレビを退職し、世間を騒がせました。
そして翌年、八木は東宝の「みんなの家」に出演し、たちまち話題となりました。
ここでの演技が評価され八木は「日本アカデミー賞」の新人俳優賞を獲得し、八木の任期を確固たるものとしました。
旦那との関係
八木はフジテレビを退職後の2002年、早大時代の同級生と結婚しました。
二人が交際したきっかけは、八木が気分転換にニューヨークへ旅行に行った際、現地企業に務めていた夫と出会ったことが契機とのことです。
結婚を機に、八木は一旦芸能界を引退し、夫が務めているニューヨークへ移住しました。
その後、夫の異動をきっかけに今度はカリフォルニア州に引っ越しをし、そこのコミュニティカレッジに通いました。
八木は更なるスキルアップのためにサンタクララ大学の大学院に入学しますが、わずか半年で休学し、日本へ帰国したのです。
帰国の理由については、夫婦仲の悪化が原因なのではないかとネット上で噂されていますが、真相は未だ分かっていません。
なお二人の間に子供はおらず、そのことが帰国の遠因になったのではないかと言う説もあります。
現在
帰国後八木はフリーアナウンサーとしても活躍をし、2009年には古巣のフジテレビにて「BSフジLIVE プライムニュース」のメインキャスターに抜擢されました。
八木はアナウンサーだけではなく、タレントや女優としてもマルチな活躍を続けていきましたが、2019年末に線維筋痛症と診断され、治療のために無期限休養に入ったのです。
その後八木は治療を済ませ、2020年に芸能界に復帰しました。
いかがでしかた?
八木と福沢朗が大学生時代に面識があったのは少し意外でしたね。
結婚して渡米した際に、ただ単に主婦業をするだけでなく大学院へ進学するあたり、八木の向上心の高さが窺えます。
夫との別居や自身の病気など様々なトラブルがありましたが、持ち前の向上心を生かしてこれらの困難を乗り越え活躍してほしいものです。