映画監督で俳優の山本晋也さん

「トゥナイト」や「トゥナイト2」でレポーターを務めていたと言った方が分かり易いかもしれません。

山本晋也さんは「トゥナイト2」終了後に、露出が減り、一時期は死亡説まで流れました。

今回は山本晋也さんの経歴と現在について、まとめてみました。

プロフィール

山本晋也さんは、1939年6月16日生まれで、東京市神田区(現:東京都千代田区)出身で、愛称は、「カントク」。

サングラスにちょび髭がトレードマークでした。

早稲田高校(早稲田実業とは別)を卒業後、日本大学芸術学部演劇科に進学。

日芸(日大芸術学部)に進む芸能人は今でも一定数いますが、この当時も入学希望者は多く、難関学部だったようです。

大学卒業後は日本教育テレビ(テレビ朝日の前身)でAD(アシスタントディレクター)を務め、1年後には映画の世界に転身します。

1964年、岩波映画製作所でと羽仁進監督のもと、助監督となりました。

1965年には「狂い咲き」という成人映画を指揮し、これが山本晋也さんの初監督作品になりました。

以後、250を超える映画を撮影し、赤塚不二夫さんや萩本欽一さんなどの大物とのタイアップ作品も手がけました。

1980年、40歳の時に「宇能鴻一郎の貝くらべ」で俳優デビューすると、以後ドラマにも出演し、1984年には「暴れん坊将軍」にも出演。

その後も俳優として活動し、最新の出演作は、2008年の「帽子」(広島放送局作)になります。

トゥナイト時代

山本晋也さんと言えば、「トゥナイト」を思い出す人もいるのではないでしょうか。

「トゥナイト」は1981年に始まった深夜の情報番組ですが、山本晋也さんは番組の中でレポーターを務めました。

当時、それほど知名度は高くありませんでしたが、映画監督ならではの目線での切り口が大きく評価されることになり、「すごいですねぇ」、「ほとんどビョーキ」が口ぐせでした。

その後、1994年に続編である「トゥナイト2」が始まり、山本晋也さんは引き続きレポーターを務めました。

当時はテレビの規制が今ほど厳しくなかったため、いわゆるお色気番組の要素が強かった「トゥナイト」ですが、2000年代に入ると子供を持つ親からの苦情が多くなり、2002年3月に終了しました。

おそらく、子供が見るようになったのでしょうね。

特に山本晋也さんの回は、きわどかった気がします。

今は間違いなく放送できないと思います。

山本晋也さんは約20年に渡りレポーターとして活躍し、知名度を大きく上げています。

現在、何してる?

トゥナイトで知名度を全国区にした山本晋也さんですが、「笑っていいとも」のレギュラーにも抜擢されています。

トゥナイト2終了後ですが、俳優としての活動は続けています。

NHK大河ドラマ「利家とまつ~加賀百万石物語~」では、織田信長の重臣:林道勝を演じ、2003年には「風子のラーメン」にも出演しています。

ただ、2003年以降、露出が激減した為、死亡説が流れましたが、これはデマのようです。

干されたという説もありましたが、これは政府を批判するコメントが多かったことに由来しています。

実際のところ、干されたという事実はなく、単にテレビの仕事を減らしただけのようです。

病気説もささやかれていますが、山本晋也さんが大病にかかっているだとか、持病があるという話も今のところありません。

現在の山本晋也さんは高齢ということもあり、ほとんど仕事をしていないそうです。

2017年4月には、小島慶子さんが山本晋也さんにインタビューを行っていました。

その時の目標は「2020年の東京五輪を取材する」だったそうです。

1964年の東京五輪の時も東京で仕事をしていた山本晋也さんですが、2020年の東京五輪にも思い入れがあったそうです。

2020年の東京五輪は翌年に延期になりましたが、山本晋也さんはそこまでモチベーションを維持できるかは疑問です。

また、元横綱の貴乃花と交流があり、2018年に貴乃花がワイドショーを賑わせていたとき、山本晋也さんは貴乃花に取材をしていました。

「ズバリ、横綱とは?」という山本晋也さんの問いに、貴乃花は「包容力」と答えています。

普段多くを語らない貴乃花ですが、山本晋也さんだからこそインタビューできたのではないかとも言われています。

俳優としての評価も高かった山本晋也さんですが、この先メディアに登場する可能性は少なそうですが、病気だという情報はないので安心してもらえればと思います。

ただ、80歳を超えているので、何が起こるかは分かりません。

以上、ここまでお付き合いありがとうございました。


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