横山昭二さんは1990年代にテレビで有名になった弁護士とも言えますし、元祖タレント弁護士とも言われています。
オウム真理教事件の時の弁護士として話題になっていましたが、なかなかインパクトがありましたよね。
そんな横山昭二弁護士のプロフィールや、オウム真理教との関係、そして現在の様子などまとめてご紹介しましょう。
プロフィール
まずは横山昭二弁護士のプロフィールからご紹介しましょう。
・本名:横山昭二(よこやましょうじ)
・生誕:1927年12月18日
・出身地:東京都
・死没:2007年
・職業:炭坑夫・検察官・弁護士
東京都で生まれ、炭坑夫を経て、中央大学法学部二部に進学していますが、中退。
大学を中退して肉体労働をしながら、30歳の時に司法試験に合格ということで、若い頃は苦労していたのですね。
1961年に検察官に任官し、検察官を退官した後に弁護士に転じています。
暴力団員の弁護も多数していたと言うことですよ。
独特のキャラクターでメディアの注目を集め、弁護士を廃業した後も、バラエティ番組への出演なども多かったですけどね。
また苦労人だっただけに人情家だったそうですが、頑固一徹な所もあったということ。
またヘビースモーカーで甘い物好きという一面もありました。
独特のキャラはやっぱり目立っていましたよね。
オウム真理教との関係
オウム真理教といえば、1995年の地下鉄サリン事件での大騒動で有名になりましたよね。
そのオウム真理教の教祖が麻原彰晃こと松本志津夫容疑者でしたが、その麻原彰晃が逮捕されて私選弁護人となったのが横山昭二弁護士になります。
横山弁護士は大阪弁護士会に所属していましたが、知人を通じてオウム真理教と出会い、松本容疑者の弁護人を買って出たと言われていますが、半年間で解任されていますね。
それでも解任されるまで、おじいちゃんの風貌や独特の雰囲気や喋り方から「横弁」のあだ名がつくほど人気になりました。
世間もオウム真理教の事が知りたいという事で、唯一松本容疑者に接見できる横山弁護士の言葉を聞きたいと連日マスコミが横山弁護士について歩いていましたよね。
マスコミ関係者を何十人も引き連れてっていうことで、大変だったと思いますよ。
近くで取材していた人の話では、横山弁護士はとても狡猾で、核心にはほとんど語らずのらりくらりと交わしていたと言うこと。
それでも、報道陣は話を聞きたいから色々とヒートアップし、「もうやめて~」という名言も出たという事です。
他にも「この~、大馬鹿者が!」「馬鹿もん!」などという発言もあり、メディアでも取り上げられていましたね。
しかし、弁護士法違反や横領などの疑惑があり、解任されましたね。
現在
オウム真理教の私選弁護人を解任された横山弁護士。
不祥事も色々と話題になっていましたね。
債務整理放置や、サラ金業者との提携、また松本容疑者の承諾無しに知り得た事実を公開し、謝礼を受け取ったなどと言う事で、1996年6月13日には大阪弁護士会から除名処分を受けていました。
その後、横山弁護士は「大阪弁護士会2000人のうち2001番目の弁護士だ」という発言や、「左手小指が欠損しているのは、やくざのオンナに手を出して詰めさせられた」という発言が名誉毀損だとして、民事起訴を起こし、1審では敗訴しましたが、2審では勝訴し、30万円の損害賠償請求を認められてもいます。
大阪弁護士会から除名の懲戒処分を受けたあとは、弁護士を廃業したという事ですね。
その後は、世界史を研究しながら大阪府河内長野市で余生を送ったと言われています。
2004年2005年には「年越しロンドンハーツ」に特別出演し、自ら自虐ネタを演じていましたからね。
また、独特のキャラが受けて、バラエティ番組やラジオで色々なタレントにモノマネされて、本人出演も多かったと言うことです。
それこそ、今とても多いタレント弁護士の始まりといっても良いでしょう。
弁護士でも面白いキャラならテレビに出演できるというのが分かったという事でしょうね。
それまではテレビに出演するといえば、真面目な役柄だったと思いますが、バラエティ番組に出演っていうのは当時珍しかったでしょう。
そういう意味ではテレビに与えた影響も大きかったのではないでしょうか?
それもあのキャラがあってこそだと思いますけどね。
2006年7月19日に、肺がんで闘病中とスポーツ紙で報じられ、本人は延命治療を拒否していましたが、家族から抗がん剤治療を勧められて、本人も承諾したという報道がありました。
危機的な状況からは脱して、「日本の刑事裁判における裁判官の暴走」というテーマで本を執筆していたという事ですよ。
若い頃から苦労して高卒で弁護士になったというのも凄いですよね。
とても真面目な方だったのだと思います。
それがオウム真理教で有名になり、人生が変わったとは言えますよね。
2007年に肺がんにより79歳で死去されたと言われていますが、大往生だったのではないでしょうか?
ご冥福をお祈りいたします。